教区報

教区報「あけぼの」

「東日本大震災7年目の3月11日・・・福島からフクシマへそして福島へ」  2018年3月号

間もなく春の訪れと共にフルーツ王国福島のリンゴ、梨、ぶどう…の木々が花芽をつけていきます。私が住まいするいわき小名浜は東北でも有数の漁業の盛んな港町です。

 

しかし悲しいかな津波で破壊された岸壁、市場は見事に再建されましたが、市場の出入り口はシャッターで閉ざされ7年過ぎた今もシャッターが上がることはありません。近くの観光客で溢れていた魚市場は、地元の魚は並ばず、三陸産、北海道産、千葉県産…と7年目の春を迎えても漁場の最盛期を迎えるはずの小名浜は元気がありません。未だ試験操業が脈々とエンドレステープのように続いています。

 

福島はいつの間にか世界のヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマと呼ばれるようになりした。震災から間もなくして郡山で開催された講演会で講師の方に福島と書いた講演の垂れ幕を、福島から急遽フクシマに訂正させられたことを思い出します。原発の被害を世界に発信するには福島でなくフクシマにそしてヒロシマ・ナガサキ・フクシマとするんですとその理由を説明されました。

 

福島と聞いただけで、7年経過した今でも上に原発の二文字が付きます。私が北海道旅行(毎年息子の墓参に出かけます)の際、お土産店の方にどちらからお出でになりましたかと聞かれて福島のいわきからと答えましたら、あー原発の福島から大変だね、「食べるものないよね」には唖然としました。北海道の物は安全だから沢山買って行きなさい。がんばってねと沢山おまけをいただきましたが、気持ちは複雑でした。6年過ぎても、福島は放射能の危険な地域のイメージが定着してしまったのか…、悲しい現実に向き合わされました。福島は福島でなくフクシマなんですかね…。

 

この話をいわきで宗教者の集まりで話したところ同じような体験をした方々が何人もいらっしゃいました。福島は「福音の島」福を呼ぶ島です。いわきの街中でも一時「ガンバッぺフクシマ」が主流でしたが最近はフクシマでなく福島と書かれたステッカーが多く目に留まるようになりました。想いのある温かな心を感じる福の島と福島に住まわれている方々と想いを共有したいのです。この呼び名だけで救われる人がいます。

 

今までに関わった2つの仮設住宅は、3月末を以って完全に閉じられます。仮設で不自由な生活を過ごされてきた大熊町、富岡町の方々は、復興住宅また新しい地域での生活が始まります。震災で地域が寸断され、また7年かけて出来た人との絆が再び寸断され、そして新しい生活に向き合います。最後に仮設に残された方々は殆どが超高齢者の方々です。このお正月も故郷に帰ることなくひっそりとお一人で仮設最後の大晦日、新年を迎えた方もいらっしゃいました。

 

聖テモテ教会はテモテ支援センターとして、3月までお付き合いをさせていただきました。限られた信徒の方が先達者の意思を継いで最後までほっこりカフェを継続していただいたこと、教会が主の器として試された7年間でありました。この震災に関わり教区を超えていわき市小名浜の仮設の人々を様々な形で支えお祈りくださった全国の教会・人々に感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました。それでも5万7千人の故郷に帰れない人々のことを覚えお祈り下さいますよう心よりお願い申し上げます。

 

司祭 ピリポ 越山 健蔵(小名浜聖テモテ教会嘱託・テモテ支援センター)

 

※ 写真は被災直後の小名浜港