東日本大震災被災者支援プロジェクト

説教

東日本大震災9周年記念の祈り説教(盛岡聖公会)

午後2時46分の黙想 −同じ時 想いを一つに 皆で祈りを−

 

東日本大震災9周年にあたって

 

盛岡聖公会 牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀

 

 

2011年3月11日の東日本大震災から9周年を迎えました。東日本大震災において、犠牲となられた方々は、行方不明者の方々と併せて18,428人、また、岩手県においても5,787名といずれも警察庁から2020年3月6日現在の状況として発表されています。心から主の平安とみ守りが豊かにありますよう覚えてお祈り申し上げます。

 

 

さて、今日私たちは東日本大震災9周年記念の祈りを捧げるためここに集まっておりますが、9年が経過したとはいえ、あの日の出来事が昨日のことのように思い出されてくるのは私だけではないと思っています。そして私にとって、毎年この日を迎え、この礼拝の回数を重ねる毎に、あの時味わった恐怖や多くの方々が犠牲となられた悲しみや痛みは、自然に消えるものとでなく、また、忘れられないこととしてでもなく、むしろ忘れてはならない出来事だということを確信するようになってまいりました。教会は、2000年前にイエスさまの受けられた十字架上での苦しみを忘れないために聖書の中にこの出来事を詳細に書き残し、またその苦しみを記念するために聖餐式という礼拝を残して繰り返し祈り続け、現代に至るまで伝えてまいりました。苦しみや悲しみを忘れないためにでなく、その苦しみを覚えるために祈り続けてきたのです。同じように東日本大震災の苦難も覚えて祈り続けることが求められております。毎年3/11には幼稚園の子どもたちもここでお祈りを捧げていましたが、今年は新型コロナウイルルス感染症予防のため子どもたちと一緒にお祈りできなくなったのが残念ですが、子どもたちは今週の月曜日に幼稚園のホールに集まってお祈りをいたしました。一番大きい子どもさんで満6歳ですので、当たり前の事なのですが、みんな大震災後に生まれた子どもたちですので、震災を経験しておりません。ますます、東日本大震災で何があったのか、起こったのかを風化させることなく、伝えることの責任を私たちが負っていることを強く感じたところです。

 

また、この3/11が近づいてまいりますと、テレビや新聞、ラジオでも3/11の特集として被災地の今が報じられ、防災についての啓発がなされます。先日は岩手県の釜石市と大槌町の状況が報じられていました。いずれも津波で甚大な被害を受けた三陸沿岸地域です。かさ上げ工事や防潮堤の建設、そして災害復興住宅の建築も進んでいるもののいまだに応急仮設住宅でお暮しになっておられる方々が、いらっしゃるということでした。様々な個別の事情などもあるようですが、このようなケースがあることも覚えてほしいということを伝えたかったのだろうと思います。さらに、福島の原発事故による住民避難や家族離散問題の解決は一向に進んでいないことが報じられています。このような状況にある方々のことを聞くにつれ、覚えて祈り続けなくてはならないという気持ちを強くいたします。そして東日本大震災は自然災害という側面だけでなく、福島の原発事故に象徴されるような、附随して起こった難しい問題が複雑に絡み合った災害となりました。さらに被災者の心の復興ということを併せて思う時、いつになれば復興は終わったと皆で喜びあうときが来るのでしょうかと思わせられます。その終わりがいつ来るのか私たちにはわかりませんが、このように祈り覚え続けることが求められいることを確認したいと思います。

 

 

最後に今日は新型コロナウイルス感染症拡大防止の注意喚起によりご自宅で時間を合わせてお祈りせざるを得なくなった方々が多くいらっしゃる中、こうして礼拝堂でもお祈りを捧げることができましたことを感謝いたします。そして、大きな痛みを負った全ての人々の上に今もこれからも神様のみ守りが豊かにありますようにご一緒に祈りを続けてまいりたいと思います。父と子と聖霊のみ名によってアーメン。

 

 

 

(2020年3月11日 盛岡聖公会にて)

司祭 ヤコブ 林 国秀