教区報

教区報「あけぼの」

「恐れ戸惑いながら、思いを巡らせる〜東日本大震災から8周年の時に思うこと〜」あけぼの2019年3月号

恐れにとらわれ
さまよう闇路に
ひるまぬ心を
お与えください
いかなる時にも
あなたはともに
神よ力を
生きる力を
(日本聖公会聖歌集477番)

 

 

「想像力を失わないでください」と東日本大震災発生時に呼びかけられた加藤主教の言葉、そして「人が一人もいなくなってしまった街って想像出来ますか?」と大切な友人に尋ねられた時に何も応えられなかったことを、今思い出しています。

 

怖くて情けないぐらいに、私の中で東日本大震災が過去の出来事になってきてしまっています。「3.11」と記号化してしまっている自分がいます。

 

今年のお正月に家族で八戸から福島県いわき市に住む両親のもとへ車で帰省して常磐道を走って道路から見える景色を見たときに、行きは夜になってしまったので漆黒の闇の中を走りました。帰りは昼間でしたので景色が見え、その時に飛び込んできた情景が脳裏に焼き付いています。

 

また、両親の家で書棚にあった震災で家族を亡くした方の手記が何気なく目にとまりました。つい先日は八戸の図書館で『3.11を心に刻んで』(岩波書店編集部)という本が妙に気になって借りて読みました。

 

 

想像力を失っていた私に与えられた出来事は一体何だったのだろうかと思い巡らせています。

 

「大震災に思うこと」という原稿依頼を頂いた時に正直何を書けばいいのだろうかと迷いました。そんな時に与えられた聖書のみ言葉がありました。

 

今年の1月20日(顕現後第2主日)は、福音書でカナの婚礼の物語が読まれました。婚礼に招かれたイエス様が水を芳醇なぶどう酒に変えたという有名な奇跡物語です。この中でイエス様とマリアのこんな会話のやりとりがあります。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。(ヨハネ2:3〜5)

 

イエスの言葉は一見とても冷たく聞こえます。しかし、母マリアはイエス様が示されようとした「時」を待つのです。考えてみればマリアの生涯は天使ガブリエルから受胎告知を受けた時から「恐れ戸惑い」の歩みだったと思うのです。しかし、彼女はそれらの出来事すべて思い巡らせて心に留めて生きられました。

 

この世の時間軸では恐れ戸惑いの連続です。特に私が今思うのは想像力を失ってしまっている己の姿に恐れ戸惑っています。そんな私に主はみ言葉を通して、今再び震災が過去の出来事ではなく今も悲しみ、苦しみ、怒り、むなしさの中で今を生きている被災者の方々や被災地のことを思い巡らせる力を与えてくれました。神様が与えてくださる「時」の中に生きようとしたマリアのように生きるようにイエス様は私たちを招いてくださっていると思います。

 

八戸聖ルカ教会牧師 司祭 越山 哲也