東北教区東日本大震災被災者支援プロジェクト

説 教

東日本大震災11周年記念の祈り(主教座聖堂 仙台基督教会)

主教 ヨハネ 吉田 雅人

主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない、心の思いが御前に置かれますように。アーメン

 

 

東日本大震災が発生してから、今日で満11年を迎えました。仙台市内中心部におりますと、新型コロナウイルス感染症は別にして、大震災の傷跡とか復興の状況というのは、ほとんど感じることがありません。しかし夕方のNHKローカル番組では、毎日、震災関連のニュースが1つか2つ放送されますので、11年たっても震災は終わっていないということを実感させられます。とりわけ太平洋沿岸の被災3県が発表している資料によりますと、今なお2,519人もの方々が行方不明のままですので、そのご家族にとっては終わるはずもないと言えましょう。

 

確かに物質的には、津波被害の大きかった沿岸部では、とてつもなく巨大な防潮堤が完成していますし、低い土地は更地にして、住民は高台に開発された土地に移り住んでおられます。将来また起こるかもしれない災害への備えとしては、当然の政策だと思います。けれども、これをもって復興だと果たして言えるのでしょうか。昨年夏のオリンピックは「復興五輪」というサブタイトルが付けられていましたが、何をもっての「復興」だったのでしょうか。

 

地震や津波によって破壊されたのは、家屋や社会インフラだけではありません。それ以上に地域社会の共同体が破壊されたのです。安全な場所への移転についても、地域共同体ごと移転できたところもあるでしょうが、それが個別に切り離されてしまったところもあります。私は27年前の阪神・淡路大震災を経験しましたが、震災後に起こった大きな問題は、被災者の方々が移転された復興住宅団地での孤独死の問題でした。震災前の交わりが断ち切られ、新しい交わりを構築する間もなく千数百人の方が孤独死しておられます。それは東日本大震災も同じで、昨年までの10年間に614人の方々が亡くなられているのです。

 

 

今でも続いているこのような状況に対して、東北教区の東日本大震災被災者支援プロジェクトが継続的に行っている、名取市閖上地区での「お買い物支援」活動や、福島県新地町の2か所で開催している「お茶会」などは小さな働きではありますが、共同体の交わり持続へのお手伝いとして、大切な働きだと言えるでしょう。

 

 

もう一点、私たちが心に留めねばならないことは、今年の2月25日現在で震災のために今も避難生活を余儀なくされている方々が、約38,000人もおられることです。そしてその中で約27,000人もの福島県民の方々が、福島県以外の場所に避難しておられることです。これは言うまでもなく、その大多数が東京電力福島第1原子力発電所の事故による放射能汚染が原因となっています。ことに原発から北西方向にある双葉町や浪江町では、いまだいほぼ全域が帰還困難区域に指定されています。徐々に避難区域に指定された所が解除されてきてはいますが、社会インフラが整備されていないこともあって、帰ることはなかなか難しいようです。そのような状況の中で、国や東京電力は処理しきれないトリチウムを含む大量の汚染水を、一定程度希釈した上で海に放出しようとしています。政府のホームページによれば「トリチウムは自然界にも普通に存在する放射性物質で、人体への影響もほとんどない」などと説明されており、安全性が強調されています。これは素人考えですが、政府が言うように安全なのであれば、放出になぜこれほどまでの反対があるのかなと思います。

 

しかし問題は、汚染水を海に放出するかどうかを含めて、原子力発電所の存在そのものにもあると言えるでしょう。私たちは長い間、原発の安全神話を刷り込まれてきましたが、このような事故が二度と起こらないという保証はどこにもありません。地球温暖化という環境問題も含めて、私たちは風力発電などの再生可能エネルギーの利用に大きく舵を切るときが来ているということなのでしょう。もちろんこれらの再生可能エネルギーにも、全く問題がないのかというと、必ずしもそうではないことも知っています。しかしそうであっても、今、私たちは未来の人や神様の被造物にとって安全な環境を受け継いでいく責任があると思います。

 

 

先ほど朗読された、マルコによる福音書第2章22節には、「誰も、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋も駄目になる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」という御言葉が記されていました。今までお話してきましたことから言えば、「復興」とは物の復興も大切でしょうが、それ以上に一人ひとりの人を、そしてその関係を大切にすることで、初めて私たちの復興があるのではないでしょうか。また、地球環境を破壊するようなエネルギーの用い方ではなく、地球環境と共に在るエネルギーを用いていくようにすることが、この御言葉に従って生きることではないかと思います。

 

十字架の死に至るまで、私たち一人ひとりを大切にしてくださったイエス様に従って、東日本大震災11年目の時を、私たちにもできる仕方で、歩んでいきたいと思います。

 

 

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 

 

主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

(2022年3月11日 主教座聖堂 仙台基督教会にて)

主教 ヨハネ 吉田 雅人

東日本大震災10周年記念の祈り(主教座聖堂 仙台基督教会)

主教 ヨハネ 加藤 博道

10年前の今日、起った出来事は、まさに激甚としか言いようのない激しさと驚きに満ちていました。自然の力の前に、人間の営み、文明が築き上げたと思っていたものが、いかに無力であるかを思い知らされた日となりました。同時に、危機的状況の中にあって、それに立ち向かう人々の責任感や勇気、また善意が示された時でもありました。

 

 

あの日を境に、多くの人の人生が変わりました。多くの人が愛する家族や親しい人、仕事や故郷を失いました。直接の被災者ではない方たちでも、あの日から自分の人生は変わったと感じ、生き方を変えてこられた方々も少なくありません。それぞれの人にとっての10年、どのような思いや状況で過ごしてこられたかは、とても簡単に言葉にすることは出来ません。

 

東北教区の中でも、この10周年の日をどのように迎えたらよいのか、以前から少しずつ話し合っていました。大震災発生後に出会った方々や、被災地と東北教区を訪問してくださった海外聖公会の方々、日本聖公会の各教区の方々をお招きしての記念礼拝や、大きな災害に向き合った時に、教会が担えること、その使命は何なのか、各教区の経験を分かち合う協議会のようなものを開催してはどうかとも話し合っていました。

 

しかし今、新型コロナウイルス感染症流行の中で、そのようなことは出来なくなりました。当初、東北教区としての記念礼拝も、津波によって3人の信徒の方―イサク三宅實さん、スザンナ三宅よしみさん、グレース中曽順子さん―が犠牲となり、教会も解体され他の場所に移転した磯山聖ヨハネ教会の元の礼拝堂跡地、「祈りの庭」で行う予定でしたが、やはり人の移動を極力減らす観点からそれも取り止めることとなりました。

 

それでも今日の礼拝は、東北教区の7つの教会で同時にささげられ、日本各地の他の場所でも、祈りの時が持たれていることと思います。海外からも、祈りの時を持つという知らせがいくつも届いています。

 

 

大勢の方とご一緒に集まっての礼拝が出来ないことは残念なのですが、実は今、わたしの中に、これで良かったのかも知れないという思いが起こってきています。もしかしたら、大勢の方を迎えた大礼拝や集会が終わった時に、何か「一段落したような、一区切りついたような」気持ちや雰囲気がどこか芽生えてしまうかも知れません。そういう意味では、今日、10周年とは言っても、限定され分散された形での礼拝とならざるを得ないことを通して、わたしたちは、今も「決して何かが終わったわけではない」ということを、改めて確認させられているのではないだろうか。そんな風に思い始めています。

 

 

東日本大震災の被災地は、地域の回復に向けて懸命の努力を続けてこられました。10年間のその労苦が報われますように、少しでも生活の落ち着きが取り戻されますようにと祈ります。しかし同時に本当の回復への道のりはまだ途上にあり、目に見えない傷ついた部分、癒されていないことは多々あるでしょう。復興という作業の必要な土台ではあるでしょうが、被災した沿岸部の多くは高くかさ上げされて、もとの生活のあった街並みや風景を想像することは困難です。世界最悪レベルと言われる原子力発電所の爆発事故によっては、いまだに事故処理そのものが収束せず、将来的な展望も見えない中、帰還困難の状態に置かれた人々の避難生活が今このときも続いています。被災地では高齢化もあり、心と体の不調を訴える人は増え続けていると言われます。そういう状況の中でわたしたちは今日、10年目の日を迎えています。

 

東日本大震災だけでなく、その後日本の各地には台風、暴風雨、洪水、土砂災害と大きな災害が続き、世界を見れば、やはり多くの自然災害と共に、政治的な対立、紛争地域における殺戮や憎悪、難民の置かれた苦難の状況があります。
問題がすっきり解決して、何の心配もないというような状況は、地球上、おそらくどこにも見当たらないのだと、思わざるを得ません。

 

 

聖公会の新約聖書学者として活躍された速水敏彦司祭の『新約聖書 わたしのアングル』という本があります。1985年の本ですが、当時大変話題になりました。その中でお若い時の速水先生ご自身が抱いていた「救い」のイメージとして、「救いとは、この苦しみや悩みの生活の中からすくいあげられて、苦しみや悩みのない世界、つまり天国とか極楽といったような所へ連れていかれることだと考えていた」という部分があります。先程読まれた福音書の中の主イエスの言葉「重荷を負って苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」に関係しての話です。「休ませてあげよう」という言葉は、とても心に優しく響いてきます。そしてこれはかなり日本人の持つ「救いのイメージ」ではないかと、少なくともご自分はそうだったと言われています。

 

しかし、後に先生は『共同訳聖書』翻訳の仕事を始められ、聖書を初めてドイツ語に訳した宗教改革者のルターが、この「休ませてあげよう」の部分を「元気づける」「元気づけてあげる」と訳していることに気がつかれます。そしていろいろ調べていく中で、キリスト教の救いは、悩みの中からすくいあげられて、苦しみのない世界に連れていかれることではなく、力を与えられて、もう一度その重荷を負って生きていけるようにされること、だと考えるようになられます。人間には休息-よく休むこと―が必要ですが、しかしそれは「もう一度力を回復して立ち上がる」ことと切り離すことは出来ないでしょう。

 

「病人を立ち上がらせる」「起き上がらせる」という言葉が新約聖書の中には多く見られ、究極的には神がイエスを死者の中から「立ち上がらせた」、復活の出来事がキリスト教信仰の中心であると書かれています。

 

もう一度生きる力を与えられて、再び立ち上がっていく、「復活」ということがキリスト教信仰の中心である、ということを深く思い、この大震災によって傷ついたすべての人の上に、また地域の上にご復活の主の御力を祈りたいと思います。

 

同時に、その「ご復活の主の御力」はどこか遠くにあるものではなく、わたしたちの日常の思いと行いの中で働いているものではないかと思うのです。

 

 

以前、テレビでスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼のドギュメンタリ―番組を放送していました。いろいろな国から来た巡礼者たちが、大きな重い荷物を背負いながら歩いていく、その姿を追った番組でした。

 

巡礼者の中に、一人の中国系の若い女性がいました。巡礼は初めての経験のようでした。小柄な女性なのですが、何よりも背負っている自分の背中よりも大きなリュックサックのバランスが悪く、背中から大きく離れて、まるで首を後ろに引っ張られるようにして、本当に苦しそうに歩いていました。とても目的地にまで辿り着けるとは思えませんでした。その時、数人の他の巡礼者が声をかけあい、「まず、あの人の荷物をなんとかしよう」と言って近づき、荷物を降ろさせ、荷物の詰め方のバランスを整え、リュックサックのひもの長さを調整して、背中にぴったりとあって、背負いやすいようにしたのです。その後、彼女は見違えるように元気に歩き出し、目的地の大聖堂にも到着することが出来ました。彼女を助けた人たちは、この場合は彼女の荷物を減らしたり、代わりに背負ってあげたわけではありません。しかし「まず、あの人を、あの人の荷物をなんとかしよう」と、お互いに声を掛け合い、必要な手助けをしました。自分も自分の重い荷物を背負って歩く旅ではあっても、他の巡礼者の状況にも無関心ではありませんでした。番組の中でも短い小さな出来事でしたが、印象的な一場面でした。そしてその女性が気力を回復していったのも、実際に荷物が背負いやすくなったということと同時に、自分が一人ではないということに気づいて、力づけられたことにもよるのではないか、そう思えるのです。

 

 

「我々に課せられたものの中で何が過酷であろうとも、愛はそれを軽くする」とは、古代の神学者アウグスティヌスの言葉です。「まず、あの人の荷物をなんとかしよう」という言葉とそこでなされた行為は、決して大袈裟なものではありませんが、やはり愛に通じるものではないかと思います。思えば主イエスの軛は「互いに愛し合え」という、新しい掟であるでしょう。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」との新しい掟です。「わたしがあなたがたを力づけたように、あなたがたも互いに力づけあいなさい」と、少し言葉をかえさせていただいても、聖書の心から離れてはいないと思えるのですが、いかがでしょうか。

 

 

東日本大震災をはじめ、様々な被災地にある方々の労苦を思います。どうか必要な休息が与えられますように。そしてまたそれぞれの仕方で、再び立ち上がっていく力が与えられますように。わたしたちの教会もその歩みを共にするものでありますように。あまりに複雑で見通しがきかないと思える世界の中にあっても、お互いの担っている状況への関心を失わない、感受性と必要な行動力とが与えられますように。

 

そして東日本大震災をはじめ、多くの災害の中で地上の生涯を終えて、天の主のみもとにある方々が、今は本当にすべての重荷を下ろし、永遠の平安のうちに安らぐことが出来ますように。お祈りいたします。父と子と聖霊の御名によって、アーメン

 

 

主教 ヨハネ 加藤 博道

 

(2021年3月11日 主教座聖堂 仙台基督教会にて)

主教 ヨハネ 加藤 博道

東日本大震災10周年記念の祈り(盛岡聖公会)

司祭 ヤコブ 林 国秀

「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」

コリントの信徒への手紙2第12章10節

 

 

東日本大震災からもう10周年となりました。心から震災による犠牲者に哀悼の意を表し、被災者を苦難を覚え心から主のみ守りをお祈り申し上げます。

 

 

私の手元に震災から2年後の被災の状況の記録があります。福島、宮城、岩手の3県で、亡くなられたかたは1万5854人、行方不明者が3155人、仮設住宅などに暮らす人は26万4000人、また、東京電力福島第1原子力発電所事故により福島県から県外に避難している人はおよそ16万人となっています。

 

一方で10年目の今年、亡くなられた方、行方不明の方々の数はその性質上大きな変化はありませんが、仮設住宅で生活をされている方々はさすがにいらっしゃらなくなり、それでも岩手県では昨年末にようやく釜石市での最後の方が仮設住宅から出られたという報道がありました。また、東京電力福島第1原子力発電所に伴う避難者、福島県からの故郷を追われる生活を強いられている方々がはいまだおよそ43,000人(福島県HP調べ)もいらっしゃることを決して忘れてはならないと思います。

 

冒頭で「もう10年」ということを申し上げましたが、震災からの時間経過の感じ方は、一人ひとりに貴重な人生があり、思い出があり、家族あるの同様に、それぞれに違いますし、今日の日を迎える思いや感じ方もそれぞれ違うと思います。

 

思い返せば、3/11の経験は私たちの想像を超える自然の力がもたらす脅威、そして地震や津波という自然の力によって起こる災害、原子力発電所事故がもたらした放射能の恐怖等、どれもこれも「これで世も終わり」と思わせられる出来事でありました。宗教学者の山折哲雄(母堂が花巻出身)は、ジャーナリストとの対談で、宗教者あるいは宗教団体によるボランティアについて、「阪神淡路大震災(1995年)、東日本大震災の両方で一生懸命やっていても一般のボランティアと同じレベルで、宗教者の言葉が現代の人々に届きにくくなっている中、このような時にこそ、しっかりした言葉も発して欲しい」というふうに語っています。私たちもこの言葉を受け止め、この10年の節目を機に、私たち教会が歩んだ道を振り返り、特に日本聖公会が主体となって行なった「いっしょに歩こう!プロジェクト」の活動についても、今後の日本聖公会のボランティアの在り方という点からその活動について振り返り、検証されることも必要なのではないかと思います。

 

 

そして、今日は東日本大震災10周年の日に当たり、冒頭拝読いたしました聖書のみ言葉に思いを寄せたいと思います。ここでパウロは人間の弱さということについて語っています。確かに人間は弱い者と私も思いますし、強いように見えるものほどポキンと折れることがあるものです。強いように見えても、心が追い付かないこともあります。強くあるのも大事ですが、むしろ人間の弱さを認めることが必要ではないかと思います。これが東日本大震災で私自身が心底味わった思いです。

 

そして人間の弱さにもかかわらず自分は今なお生かされてあります。そしてパウロは弱いときにこそ強いのだと逆説的に自分の強さを語っています。とても不思議です。弱いときにこそ強いとは、どうすれば言うことができるのでしょうか。それは、弱さのなかにあっても、その弱さが何かによってあるいは誰かによって支えられていることや、弱さを知っていてくださるかたがおられるということに気づくことにこそあると思います。パウロは「弱いときにこそ強いからです」と言いましたが、この言葉の直前で次のように言っています。「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」 すなわち、弱さのなかにあっても、キリストの力がわたしの内にあるので、再び生き、立ちあがることができる、パウロはそのことにより自分は強くあれるというのです。

 

 

神さまは、私たちの叫びや祈りを聞いてくださり、全能であられる方であると同時に、悲しみのどん底もご存知で、私たちが味わう苦しみをはるかに超えた苦しみをもご存知である方でいらっしゃいます。このことは主イエスが十字架にかかられ死なれた事実を通して、聖書のなかの随所に示されているところです。

 

教会が信じていることは、主イエスは十字架にかけられ、死なれて、3日目に甦られたということです。これがわたしたちの信仰です。そしてわたしたちもその主から甦りの命をいただき復活の力をいただいています。

 

わたしたちは、本当に弱い存在であると思います。東日本大震災から私はそのことを知り、傷ついた葦、くすぶる灯心のような存在でることを思いました。けれども、そのようなわたしたちの叫びや祈りを、神さまは聞いてくださり、その叫びに応えて、今も御子イエス様をわたしたちとともにおらせ、十字架の死をもってわたしたちの苦悩を担い、分かち合われようとしてくださり、さらに、甦りの命さえを惜しまず与えようとしてくださいます。その神様の愛により、私たちが味わう苦しみや痛みも分かち合われることによってやわらげられ、癒されてまいります。どのような困難のなかにあっても、主を信頼し、主に拠り頼み、弱さのなかに働く復活の主のみ力に生かされて、これからも祈り続け歩んでまいりたいと願います。祈ることによって、この出来事が風化されず、忘れられることなく覚え続けられてまいりますことを望みます。

 

 

盛岡聖公会牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀

 

(2021年3月11日 盛岡聖公会にて)

司祭 ヤコブ 林 国秀

東日本大震災10周年記念の祈り(青森聖アンデレ教会)

司祭 ステパノ 越山 哲也

「想像することを忘れないで」

 

 
主よ、私の岩、私の贖い主、私の語る言葉と心の思いが御心にかないますように。アーメン 

 

 

2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年を迎える本日、私たちは東北教区内各地7教会で「同じ時 想いを一つにして皆で祈りを」捧げています。そして、各地で今祈りの時が持たれています。その事を心に覚えながら、私たちも青森聖アンデレ教会に集えたことを感謝し、祈りをささげたいと思います。

 

「想像力を失わないでください」と、当時の教区主教であられた加藤博道主教様は呼び掛けられました。私はこの言葉を大切にしながら、時折自分自身に問いかけています。「想像出来ているだろうか」と・・・。正直、あまり想像出来ていないと感じています。なぜならば、自分自身の現状が「普通」に戻りつつあるからです。しかしながら、被災された方々の言葉、10年目にして初めて語られた思いに触れるたびに、想像することを忘れてはいけないと思わされています。

 

そして、この10年を振り返ってみると実に多くの方々との出会いがあり、お一人お一人に当たり前なのですが大切な固有の物語があるのです。当然、震災への思いも個人差があります。すでに「普通」に戻っている人もいれば、まったくそうでない人もいます。私たちの社会はそのような思いが複雑に絡み合っています。複雑な思いは声に出せないことのほうが多いと思います。

 

教会の歩みは、これからもそれぞれのペースが最大限尊重されるように、ゆっくりと歩んでいかなければならないと思います。

 

 

本日の福音書で、主イエスは「すべて重荷を負って苦労しているものは、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)と語られています。

 

「軛」は土を耕す2頭の動物の足並みをそろえるための道具で、自由を束縛するものです。本来であれば私たちは軛から解放されて自由に生きていきたいと願います。しかし、現実はそうではありません。そんな私たちにイエス様の言葉は優しく響くのです。「私の軛を負いなさい」と・・・。

 

軛をつけられている2頭の動物の足並みが狂うことは決してありません。歩みが止まれば相手もとまる、一歩歩めば相手も一歩歩む、一歩後退すれば相手も後退する。

 

日本聖公会は「いっしょに歩こう」をスローガンに、この10年を歩み続けてきました。そしてこれからもそれは変わることはありません。なぜならば、イエス様ご自身がいつも一緒に足並みをそろえて歩んでくださっているからです。私たち一人ひとりのペースに合わせてイエス様は歩んでくださっているのです。

 

イエス様は「私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」と約束してくださっています。私たちの生活の傍らでいつも寄り添って歩みんでくださるお方がいらっしゃるということを、それこそ想像力をもって忘れないでいたいと思います。
 

 

八戸聖ルカ教会牧師 司祭 ステパノ 越山 哲也

 

(2021年3月11日 青森聖アンデレ教会にて)

司祭 ステパノ 越山 哲也

東日本大震災10周年記念の祈り(福島聖ステパノ教会)

司祭 パウロ 渡部 拓

「10年目に負う軛」

 

 

10年前の3月11日午後2時46分。忘れもしないあの日に、わたしは先輩聖職とともに車に乗って、仙台の町を東に向かっておりました。そしてちょうど橋を渡ろうかとしていた時に、この大きな揺れがわたしたちを襲いました。体験したことの無い大きく長い揺れ、目の前では今まさに渡ろうとしていた橋が蛇のように波打っています。永遠に続くかとも思われた揺れが過ぎ去った後に、現実に引き戻されたわたしたちは、道がひび割れ、信号機は止まり、建物のガラスは粉々に砕け散っている町を引き返していきました。

 

その後のおよそ1月の間の記憶は正直曖昧な部分が多いのですが、ともかく無事だった家族と再会して実家に戻り、水を川に汲みに行ったり、数少ない食料を求めてスーパーに並んだり、そして教会へと戻り、最初期に災害支援活動のお手伝いをしました。そんな怒濤のような日々が過ぎ去っていく中で、わたしは京都のウイリアムス神学館へと入学することとなりました。

 

そこに至る経緯にも個人的には色々とあった訳ですが、それはともかくとして、震災から1月経つかというところで東京行きの夜行バスに乗り込み、真っ暗な東北自動車道を南に進み、暗闇の中でもうっすらと見え隠れする地震の爪痕をぼんやりと見つめながら東京新宿に到着。そこから東京駅へと向かって、朝一番の新幹線に乗り込み京都へと向かいました。

 

その道すがら、段々と夜が明けて見えてくる景色に、わたしは言い知れぬ不安を覚えてたことを今でも覚えています。いつもと変わることの無いように映る町並み、止まる駅止まる駅で見かける人々のいつか自分もしていたであろう仕事に向かうただ気怠げな表情、無表情、そして京都にたどり着いた時に響いてくる明るいコマーシャルの音、商店街の喧噪、お店で談笑する人々の笑顔。別にこれらが悪いわけでも、その人たちが悪いものでもないはずなのに、「ここは本当に同じ日本なのだろうか?」と不安になってしまったのです。

 

 

しかしそんなわたしの不安を取り除いてくれたのは、やはりイエス様と教会でありました。京都の神学館に到着すると同時に皆が心から出迎えてくれました。訪れる教会すべての場所で、そこに集う人々は遠く東日本で起こった惨状に対して、自分のことのように心を痛め、祈りを献げてくれたのです。このことはわたしにとって救いと癒やしにもなりましたし、同時に一つの気付きを与えてくれました。

 

それは被災地を離れて遠い地に降り立った時に、いつもと変わらないように見えた人々に対する違和感の答えでした。いつもと変わらずに見えたサラリーマンたちも、喫茶店で談笑していた女性たちも、彼らは決して遠い地で起こった惨劇に無関心な訳では無く、きっと大小の差はあれど心を痛め、心配もしているのだろうということ。

 

しかし一方で、弱い人間の心では、それらの自分ではどうすることも出来ない事態、あまりにつらすぎる出来事、大きすぎる重荷は背負うことが出来ない。むしろ四六時中そのことに思いを寄せ続けてしまえば、心が壊れてしまうかもしれません。だから彼らはその大きな重荷を下ろして生活することを選んでいるのだと。

 

またこの気付きは同時に自分自身にも返ってくるものでありました。この出来事で確かにわたしは当事者でもある。でも同じ当事者でもわたしよりも遙かに悲しみの大きな人、痛みを抱えている人は沢山いるわけで、ではその人々に自分がどこまで痛みや重荷をと言われれば、やはり日常においては、どこかで見ないふり、その重荷を無かったかのように過ごしてしまっているという事実が返ってきたのです。

 

その上でこの事実に行き着いた時に、改めて感じられたのがイエス様のみ業の確かさでもあったのです。遠く離れた地で、自分とはともすれば無関係だとその重荷を解いてしまっても仕方が無いような中で、少なくとも教会とそれに連なる活動の中においては、その祈りの中においては確かに人々はその悲しみや苦しみという重荷を担って祈ってくれているということ。そしてそれは、今日の聖書にもあるように、イエス・キリストが一人では背負うことの出来ない重荷を、その人の軛を負いやすいようにしてくださり、そしてまたご一緒に担ってくださっているからこそ実現しているのだということです。

 

今日の福音書でイエス様は重荷を負う者はわたしのもとに来なさい、休ませてあげようと言われます。でもそれは、その重荷を無かったことにしたり、捨ててしまってもいいということではなく、それはイエス様から軛を与えられて、また背負っていくことになるものであるということ。しかしその荷物はイエス様を通して軽くなります。またイエス様の時代の軛は二頭立てが主流であったことからも、この喩えはイエス様もまたその軛を「わたしの」軛として共に担ってくださる。だから人間が一人では抱える事の出来ない重荷であっても、イエス様と共になら背負うことができる。しかもそこには魂の安らぎすら約束されているのです。これは確かにわたしが10年前に訪れた遠い地での教会で実現していたことでありました。わたしは実際に教会で、イエス様を通した人々の出会いを通して癒やされたのですから。

 

 

それでは10年たったわたしたちはどうでありましょうか。10年という年月はあるいは、当事者であるわたしたちにとってもあの時の痛みや重荷を遠くにしてしまう恐れもあるように感じます。実際同じ東北でも福島と山形では、その報道の頻度や人々の意識はかなり違うものでありましょう。

 

そうであるからこそ、わたしたちは今一度イエス様と共に軛を負ってその荷物を背負う必要がある。少なくとも教会に集うとき、家で祈る時、四六時中は難しくとも、祈りの時には10年前の痛みと破れを思い起こし、今なお苦しむ全ての人々に心を寄せることが大切でありましょう。それはあるいはつらいことでも、苦しいことでもあるかもしれない。しかしイエス様はわたしたちがその荷を負うことを優しくしてくださるし、共に担ってもくれる、そしてその先には必ず安らぎもくださるのだということを希望にして生きましょう。

 

10年たったこの日、わたしたち一人一人に出来ることはそう多くはないのかもしれません。しかしながら、その負うべきものを忘れずに、イエス様と共に祈り寄り添い続ける先に、必ず魂の救済と平安があるのだと信じてこの祈りを続けて参りましょう。

 

 

福島聖ステパノ教会牧師 司祭 渡部 拓

 

(2021年3月11日 福島聖ステパノ教会にて)

司祭 パウロ 渡部 拓