教区報
主教コラム
「昨日も今日も、また」2025年11月

長い長い猛暑、酷暑の今夏でした。暑すぎるという理由で、例年は8月に開いている仙台聖フランシス教会日曜学校恒例の「夏の学校」は、9月27日(土)に時期をずらして「秋の学校」と名称も変更しての開催となりました。
参加者は年長児から中学1年生まで35人、聖クリストファ幼稚園の在園児と卒園生です。
スタッフは先生や老若信徒の12人で、準備や運営、ご奉仕に感謝でした。
プログラムは礼拝、自己紹介、聖書の話、カレーライス作り、ゲーム、十字架のキーホルダー作りと盛りだくさんな内容でした。子どもたちは疲れを知らず、思いっきり楽しんでいました。誰もが生まれた時から知っている友だち、仲間、兄弟姉妹のように和んでいて驚きでした。
今回のテーマソングは「主イエスとともに 歩きましょう どこまでも いつも」で礼拝と聖書の時間に、私は2枚の絵画をお見せしました。何せ幼稚園児さんから中学1年生までと幅広いので、視覚に訴えたのです。
1枚は、主イエスとメナスさんが並んで描かれている「友情のイコン」です。どちらがイエス様でしょう?とクイズにし、正解は背後の円光で内側に十字が描かれているほうですと解説しますと、なるほどと納得の様子。イエス様の右手がメナスさんの肩に回されていると説明しますと、二人はお友だちなんだとみんなにっこりでした。
2枚目は、ロバート ツンドの『エマオへの道』(1877年頃作品)です。この絵画が、聖クリストファ幼稚園の廊下の一角に飾られていたのを知らなかった私はビックリして利用したのです。しかもこの額縁は青葉静修館にあったもので、深い神様のお導きに感動しながらルカ24章13〜35節で、ご復活のイエス様が二人のお弟子さんと同行しているように、私たちとともに歩んでおられるのを想像して、子ども賛美歌「エマオの道を 旅ゆくふたり」を皆で歌いました。
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年10月

8月8日夜、入所先の介護施設の一室で、可愛い娘3人に看取られながら、妻の母が老衰で息を引き取りました。90歳でした。
37年前、和歌山県新宮市の自宅で、おそらく早くに亡くした夫を偲びながら、長女との結婚をお許しいただいた義母でした。牧師とその妻とは皆目見当がつかなかったはずです。まさか東北にまで行くなんて想定外だったでしょう。1991年3月、母は1歳と2歳の孫二人の引っ越しで、まだ寒さの厳しい会津若松まで来てくれ有難いことでした。
2021年になって、母と次女との自宅暮らしが覚束ないと身内から連絡が入り、青森聖アンデレ教会委員会に相談の上、5月に「青森に行こう!」と飛行機に乗せて牧師館に居を移しました。エアコンを設置、暖房を整えていただいた教会の皆様には本当に感謝しかありません。母は軽いアルツハイマー型認知症との検査結果でしたが、信徒のお医者さんにかかれて安心し、デイサービスを利用して日々にこやかに暮らしていました。
2024年4月、仙台聖フランシス教会牧師館に引っ越し、青森時代のようにデイサービスを受けていましたが、次第に衰えはじめ、食事もだんだん取れなくなり、今年1月誤嚥性肺炎で3日間入院、2月脱水症状を発症し50日間の24時間付き添い入院、退院後は在宅医療で過ごし、最後の39日間はショートステイをして介護施設におりました。
在宅療養中、兵庫県で働いている三女が4月から3カ月介護休暇を取って一緒に生活し、仕事復帰後も往来を繰り返していましたが、再来した日の夜に三姉妹たちが揃っている中での最期になりました。穏やかで静かなお別れでした。
主教になった私の紫シャツ姿に、母はいつも必ずニヤニヤしては、「赤いよ~」と言って嬉しがっていたのがいつまでも残っています。それは今、母からの激励・応援の声のように響いています。
(教区主教)
「昨日も今日も、また」2025年9月

4月の大阪教区主教按手式に続き、7月5日九州教区主教按手式ならびに九州教区主教就任式が挙行されて、マルコ柴本孝夫新主教が誕生しました。私が柴本主教で一番に思い浮かぶのは支援車両です。
2011年3月11日東日本大震災後に日本聖公会が立ち上げた被災者支援「いっしょに歩こう!プロジェクト」では、活動のため複数台の車両を必要とし、沖縄教区からは新車同然の10人乗りワゴン車が提供されました。ワゴン車は沖縄から九州に輸送後、当時の柴本司祭と九州教区信徒の山本尚生さんが陸路丸々2日間掛け本州縦断、仙台まで運転して来てくださったのです!これだけでも凄いお働きでした。
車のボディには、聖公会の日本宣教開始とされている米国聖公会リギンズ宣教師とウイリアムス主教が長崎に上陸した1859年より13年前の1846年に、イギリスの琉球伝道団から「ベッテルハイム」という医師の宣教師が那覇に来て、迫害の中で8年間伝道していたその人の名が印字されていました。「沖縄」のナンバープレートの車に、スタッフは「うちなんちゃー」の愛称を付けて愛用しました。
緊急救援物資を北は釜石から南は小名浜まで運び、被災された方々をお乗せしてのお茶会や買い物ツアーにお出かけをし、全国から来たボランティアたちの輸送や訪問者の送迎など、13年間多くの場面で大活躍した車両でした。
昨年の能登半島地震後うちなんちゃー号は京都教区災害対策室に移譲され「京都」ナンバーで使用されています。私は京都教区主教館前に駐車しているその車を目撃し、感無量でした。柴本主教さんたちの行為は、こうして次から次へとバトンタッチされて、奉仕の継承がなされているのです。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私は日本聖公会の宣教の歴史と継承、全体性と一体性、教区間協働の象徴としてのうちなんちゃー号に希望の光を感じます。
(教区主教)
