教区報

主教コラム

ほそ道から 第10回「名は体を表せるか!?」

 昨年11月22~23日に開催された教区会で、「日本聖公会東北教区業務組織及び業務分掌規程」が全面的に改定されました。なかなか堅苦しい議案名ですが、要は教区にある様々な委員会の働きを整理して、決議機関と執行機関の関係を明確にし、スムーズな運営ができるようにしようというねらいです。

 

 その結果として、一部の委員会や部の名称が変更されました。その中でも教区の皆さんに目に付くのは、「教務所」が「教区事務所」に変更されたことではないかと思います。名前が変わる。これは単に「教」と「務」の間に「区事」という語を挿入したに留まるわけではありません。「名は体を表す」といいますが、まさにそのとおり、とても大切なことなのだと思います。

 

 

Circumcision of Jesus by Albrecht Dürer

 1月1日は、現在の教会暦では「主イエス命名の日」と言いますが、『1549年英国聖公会第一祈祷書』以来、「受割礼日」と呼んでいました。つまりイエス様が創世記17・9以下やレビ記などの律法に従って、神による繁栄の約束のしるしである「割礼」を受けられたことを大切にしていたわけです。それに対して「命名日」と呼ぶようにしたことは、マタイ1・23にあるように「神は我々と共におられる」や、イエスのヘブライ名「ヨシュア」の意味である「神は救い」を大切にしようということだと思います。

 

 私たちが洗礼を授けられた時、戸籍上の名前の前に、「洗礼名」をいただきます。これは、新生の命をいただいて、洗礼名のような生き方をして欲しいという希望もこめられているのでしょう。

 

 

 では「教会」という名称はどうでしょうか。単に「何かを教える会」ではなく、私たちがイエス様を主と仰ぐ限り、「神は我々と共におられる」ことを互いに分かち合い、体験できる共同体でありたいと思います。

教区主教 あけぼの2019年2月号