教区報

主教コラム

欅並木から 第16回「声のこと―『み言葉の礼拝』の司式に寄せて―」

日本聖公会として『み言葉の礼拝』が作成され、刊行されてから数年が経ちました。司祭が不在の場合の日曜日の礼拝のためとなっており、全国の教区でかなり幅広く用いられているようです。従来の「朝の礼拝」でもよいのですが、『み言葉の礼拝』は聖餐式の場合と同じ聖書日課―旧約、使徒書、福音書―を読み、また代祷の形式も聖餐式と基本的に共通しています。つまり聖書朗読と代祷という、聖餐以外の礼拝の大切な部分を強調しているものと言えます。「朝の礼拝」ももちろん聖公会の宝ですが、日々の「聖務日課」として基本的には主日の礼拝とは異なる意図を持っていると言えます。

 

一信徒の方の年賀状に、『み言葉の礼拝』の司式者のための研修をよろしくとあり、申し訳なく思いました。努力したいと思います。
『み言葉の礼拝』でも他の礼拝の場合でも、司式者として大事なことは何かと言われれば・・・もちろんいろいろ大切なのでしょうが、わたしは「声」とお答えすると思います。司式する声です。しかし決して誤解していただきたくないのは、ただアナウンサーのように正確にきれいな声で、とか立派な声で司式してくださいと申し上げたいのではないということです。ほとんど「気持ちの問題」と言ってよいかと思います。

 
DSC_9320そこに集まっている人たちといっしょに祈ろう、多くの場合会衆は小人数でしょうが、喜んで礼拝しよう、お互いに礼拝を通して神さまに感謝と賛美を捧げ、信徒同士も力づけあおう、それが一番大切な心なのだと思います。その結果としてボソボソというよりは多少声にも力をこめたり、またそのためには姿勢もうつむいて、というよりは胸を張ったり。新しい一年、少しでも多くの方と顔を合わせて研修の機会が持てたら幸いです。

(教区主教)

あけぼの 2016年3月号