東北教区東日本大震災被災者支援プロジェクト
説 教
東日本大震災14周年記念の祈り(主教座聖堂 仙台基督教会)
主教 フランシス 長谷川 清純
希望のイエスさま
主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。どうか、わたしの口の言葉が御心にかない、心の思いが御前に置かれますように アーメン
本日も皆様に神様の祝福がありますように!
2011年3月11日は、私たちが未来永劫忘れられない記憶となっています。否そうでなければならないのです。
毎年何処で大規模な自然災害が次々と起きています。昨年は1月1日に能登半島地震が発生して私は震えおののきました。今年は、大船渡で森林火災、山火事です。まったく酷い体験をさせられています。
大船渡三陸町綾里(しょうり)地区は2011年東日本大震災で、最大40.1mの巨大津波に襲われており、27名が亡くなっています。高台に家を再建している方々が、今度は山火事に襲われました。綾里は、1896年の明治三陸大津波で、当時史上最高となる38.2mを観測していました。
綾里の中心地区は港地区ですが、1933年の昭和三陸津波の被害に遭い、高台に家を建てた人たちも多いそうです。今回山から火に見舞われました。「二重苦」「二重の辛苦」と新聞は書いていますが、私は「三重苦」だと思わされています。それは消失した家の隣に、火災を免れた家が無傷で建っているからです。残酷な風景です。やるせない気持ちになります。どうしたらいいの、と途方に暮れ、言葉が見つからないと語る人たち、これは「三重苦」です。
東日本大震災のあとには、このように苦しんだ人たちは30万人いやそれ以上もおりました。佐藤清吾さんもその一人です。
先月2月15日(土)、原発のない世界を求めるZoom caféのスピーカーに清吾さんに登場していただきました。私は、石巻市北上町十三浜大室の災害復興住宅団地で、6年前に新築された清吾さんのご自宅に押し掛けて、2人でオンライン中継をしました。
ご存じでない方のために簡単に清吾さんを紹介しますと、彼は1941年生まれの83歳です。大震災で被災され、妻とお孫さんを亡くされました。当時彼は十三浜漁港代表理事組合長、宮城県漁協経営管理委員会委員でした。私たちいっしょに歩こう!プロジェクトは、日本福音ルーテル教会の支援プロジェクト「となりびと」との協働で、十三浜の在宅被災者支援をいたしました。
清吾さんは、打ちのめされ生きる力を失っていましたが、私たちや多くのボランティアさんたちが一生懸命話してくれたり、お手伝いくださったりする中から、これではいかんとやる気を取り戻せた、これも皆さんのお蔭です、と感謝されました。笑顔の清吾さんが復活していきました。
Zoom caféでのお話しは、もう30年以上も前から一人でも「脱原発」をしてこられたのは、漁師の仕事ができなくなる、生活を奪われる、海・地球環境を汚染する、そして何よりも魚や人間の生命を将来的に滅ぼすからだ、という人が生きる、暮らす上での大問題、大障害だからダメだ、という明確な信念によると語られたのは、非常にインパクトのある訴えでした。
私は、Zoom caféの打ち合わせに1月27日にお邪魔したのですが、途中にある震災遺構となった大川小学校に、久しぶりに立ち寄りました。犠牲となった74名の小学生と10名の先生の記念碑が建てられていましたので、手を合わせ光明と平安を祈りました。
つい2日前の9日、柳城女子大学の先生方や卒業生たちと現役生たち御一行が、主日に被災地訪問されました。私たちは磯山聖ヨハネ教会でお迎えしました。
その朝、水曜喫茶にずーっと通っていた佐々木恒子さんの訃報を聞かされて、言葉がありませんでした。その日に通夜、翌日つまり昨日ご葬儀を営むというのでした。これが現実です。
私はご一行歓迎の挨拶どころではなく、これが14年の現実と話すしかありませんでした。東京電力福島第一原子力発電所の爆発で拡散した放射性物質の汚染から避難された、浪江町、南相馬市の人たちの応急仮設住宅で、いっしょに歩こうプロジェクトはお茶っこ会を催しました。その初めから通ってこられた恒子さんでした。
彼女の口から私は無念の言葉を一度だけ聞いたことがあります。
彼女は、浪江町の住民が提訴した「損害賠償訴訟」の原告の一人でした。農家や漁師さんたちの家は大きくて立派な屋敷が多いですが、彼女の家もそういった部類で、しかも数年前に新築したばかりでした。それが原発の放射能によって避難を余儀なくされ、住まわれなくなったのです。「私はとっても悔しいの、腹立つの、もう戻られないし、なんもできんの」と、強い語気でした。
2022年原発のない世界を求める週間で、インタビュー・ビデオ出演してもらってしています。その時、彼女は言っていました。「ほんとうの私らに良くしてもらって、有難い、有難い、」と感謝だけ口にしていました。
彼女の死は、いわゆる震災関連死だと思います。故郷を追われた人の死です。今日のニュースでは震災関連死を含めて東日本大震災の死者は22,000人を超えています。
柳城女子大学の学生さんたちは、代々、水曜喫茶にパウンドケーキを13年間送り続けてくださいました。昨年秋にその愛情たっぷり込められたケーキづくりを完了し、一区切り最後にしますというので、水曜喫茶に集う人たちとスタッフは9月11日の集まりで、大きな感謝を胸に御礼の気持ちをプラカードにして写真を一枚撮って、返礼にしました。
一行は、私たちのために練習して来られたハンドマッサージを施してくれました。バルーンアートの3人娘たちがおもしろおかしく作品を作って、私たちにプレゼントしてくれました。
最後に、祈りの庭で、私たち東北教区が毎月祈り続けてきた、「東日本大震災を憶えて 午後2時分の黙想」の式文を用いて、福島県新地町埒浜地区での7名の犠牲者と、新地町119名の犠牲者を憶えて祈りました。一行は前日に、ふじ幼稚園に寄られていましたから、亡くなられたグレース中曽順子さんのお名前に涙していました。
このような最近2か月を私は過ごしています。
ローマの信徒への手紙5:4-5のみ言葉を聞いて、私たちの励ましと拠り所としたいと存じます。
「そればかりでなく、苦難をも誇りとしています。苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むことを知っているからです。この希望が失望に終わることはありません。私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
この神様の愛を分かち合う人になれますようにと、皆さんお互いに祈り合ってまいりたいと思います。そのような人を神様はお喜びなさいます。
最後に、世界中で起きている紛争や戦争の犠牲者、そして様々な自然災害、特に東日本大震災と熊本地震、北海道胆振東部地震、能登半島地震・豪雨そして大船渡の山火事で亡くなられたすべての方々の魂の平安のために祈りましょう。また、今現在、言うに言われぬ苦しみや悲しみを背負う人たちに、神様の豊かな慰めと、人々の寄り添いと思いやりが届いますように祈りましょう。
父と子と聖霊のみ名によって アーメン
主教 フランシス 長谷川 清純
(2025年3月11日 主教座聖堂 仙台基督教会にて)
東日本大震災13周年記念の祈り(福島聖ステパノ教会)
主教 フランシス 長谷川 清純
いのちの分かち合い
主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。どうか、わたしの口の言葉が御心にかない、心の思いが御前に置かれますように アーメン
本日も皆様に神様の祝福がありますように!
2011年3月11日の東日本大震災から13年が経ちました。私たちは各会場教会でそれぞれ礼拝をささげて祈り、ここ福島聖ステパノ教会では、私が対談する形式で片岡輝美さんから「福島からのメッセージ」を聞いて、原発事故後の現況を知らされてキリストを信じる者として、何かしら行動しようとしています。
毎年何処で大規模な自然災害が起きています。今年は1月1日に能登半島地震が発生して私は震えおののきました。瞬間的に、志賀原発はどうなっているか、が頭をよぎりました。大地震と原発事故が絡みます。原発立地地域は日本各地のいわば過疎地であり、同時に大体は震源地近郊でもあります。大地震と津波が起きる度に、私たちはいのちの危険に晒されるているのです。
能登半島地震は半島全域で陸地の隆起があって、輪島市門前町黒島町では4mも地盤隆起しました。液状化も起き、加えてわずか3分後に津波が押し寄せていました。7万5千棟余りが家屋倒壊、道路の寸断があちこちで発生し何カ所も一時孤立地帯となりました。犠牲者は241人、安否不明者7人にも上ります。広範囲に渡って停電となり未だに断水が長期間続き、ライフラインがストップしました。辛うじて避難所に避難された人たちでも、真冬の寒さに震えました。2か月と11日経っても、1万人以上が避難所生活を余儀なくされています。それとは別に、断水している自宅で不自由な生活をされている自宅避難者が4,500人以上にも上っています。大きな不安がいつ解消されるのか見通しが全然立っていません。まさに過酷な状況です。
13年前の東日本大震災では、福島県新地町が早くも5月には仮設住宅に入れましたから避難所生活の期間が2~3か月間でした。それでも大変な気苦労と心労を抱えたのでした。
当日、震災後間もなく緊急支援物資が全国から海外から大量に寄せられました。多くの方々が津波で一切を失ってしまった人たちに対する、何かしたいという差し迫ってくる要請のような気持ちが、そうさせたのでしょう。
そんな中で、私は南三陸町志津川支援に行った際、ある逸話を聞かされました。南三陸町の、とある小さな村の人々の行動の話しを、私は生涯忘れられません。被災地から離れたお隣り集落代表が、海岸沿いで被災し孤立した集落の人たちに、いち早く食べ物を届けるぞ!と決めて、お母さんおばあさん方におにぎりを握らせ、リヤカーに積みました。何せ幹線道路は寸断され通行不能でしたから、裏の細い山道を行くしかありませんでした。決死の覚悟で運びますが、熱々を食べさせたいと考え毛布にくるんで運ばれたおにぎりはやや冷めましたが、大震災翌日には、震えていた被災者の口に入って空腹を凌ぎ、人心地と大きな感激の涙と温かな気分に包まれて感謝が伝えられたのでした!
福島県新地町福田小学校体育館避難所でも、やはり震災の翌日に、津波が到達しなかった周辺地区の住民が、おにぎり味噌汁を差し入れました。農家も多いですからお漬物も野菜も差し出されました。
私たちは、何度もこのような経験を重ねました。栃木県にアジア学院というアジアの人たちのための農業従事者養成学校がありました。大震災後閉鎖になってしまっています。その学校から、卵やお肉が売れなくなっている、必要ないかという情報をもらい、お肉を釜石のとある小さな漁港の集落に宅配しました。クロネコヤマトが奮闘してくれました。新地町にも肉を持って行きました。それまで避難所で食べるカレーは野菜カレーでしたが、その時は肉入りカレーとなって、人々がほんとうに美味しかったと満面の笑みでした。大量の卵も人々に分けて配ってとても喜んでもらいました。
つまりは、寄せ集められた思いやりの心が、人々を満腹にします。寄せ集まった労りのお気持ちがささやかな幸せを生むのです。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」とイエスさまを試そうとして言ったら、「あなたはどう思うのか?」と、逆にイエスさまに問われた人が、「神を愛し敬い、隣人を自分のように愛すること」と答えると、「正しい答えだ!。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」と促されます。行いの人にキリストのいのちが宿るのです。
このいのちを分かち合う人になれますようにと、皆さんお互いに祈り合ってまいりたいと思います。そのような人を神様はお喜びなさいます。
父と子と聖霊のみ名によって アメーン
主教 フランシス 長谷川 清純
(2024年3月11日 福島聖ステパノ教会にて)
東日本大震災11周年記念の祈り(主教座聖堂 仙台基督教会)
主教 ヨハネ 吉田 雅人
主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない、心の思いが御前に置かれますように。アーメン
東日本大震災が発生してから、今日で満11年を迎えました。仙台市内中心部におりますと、新型コロナウイルス感染症は別にして、大震災の傷跡とか復興の状況というのは、ほとんど感じることがありません。しかし夕方のNHKローカル番組では、毎日、震災関連のニュースが1つか2つ放送されますので、11年たっても震災は終わっていないということを実感させられます。とりわけ太平洋沿岸の被災3県が発表している資料によりますと、今なお2,519人もの方々が行方不明のままですので、そのご家族にとっては終わるはずもないと言えましょう。
確かに物質的には、津波被害の大きかった沿岸部では、とてつもなく巨大な防潮堤が完成していますし、低い土地は更地にして、住民は高台に開発された土地に移り住んでおられます。将来また起こるかもしれない災害への備えとしては、当然の政策だと思います。けれども、これをもって復興だと果たして言えるのでしょうか。昨年夏のオリンピックは「復興五輪」というサブタイトルが付けられていましたが、何をもっての「復興」だったのでしょうか。
地震や津波によって破壊されたのは、家屋や社会インフラだけではありません。それ以上に地域社会の共同体が破壊されたのです。安全な場所への移転についても、地域共同体ごと移転できたところもあるでしょうが、それが個別に切り離されてしまったところもあります。私は27年前の阪神・淡路大震災を経験しましたが、震災後に起こった大きな問題は、被災者の方々が移転された復興住宅団地での孤独死の問題でした。震災前の交わりが断ち切られ、新しい交わりを構築する間もなく千数百人の方が孤独死しておられます。それは東日本大震災も同じで、昨年までの10年間に614人の方々が亡くなられているのです。
今でも続いているこのような状況に対して、東北教区の東日本大震災被災者支援プロジェクトが継続的に行っている、名取市閖上地区での「お買い物支援」活動や、福島県新地町の2か所で開催している「お茶会」などは小さな働きではありますが、共同体の交わり持続へのお手伝いとして、大切な働きだと言えるでしょう。
もう一点、私たちが心に留めねばならないことは、今年の2月25日現在で震災のために今も避難生活を余儀なくされている方々が、約38,000人もおられることです。そしてその中で約27,000人もの福島県民の方々が、福島県以外の場所に避難しておられることです。これは言うまでもなく、その大多数が東京電力福島第1原子力発電所の事故による放射能汚染が原因となっています。ことに原発から北西方向にある双葉町や浪江町では、いまだいほぼ全域が帰還困難区域に指定されています。徐々に避難区域に指定された所が解除されてきてはいますが、社会インフラが整備されていないこともあって、帰ることはなかなか難しいようです。そのような状況の中で、国や東京電力は処理しきれないトリチウムを含む大量の汚染水を、一定程度希釈した上で海に放出しようとしています。政府のホームページによれば「トリチウムは自然界にも普通に存在する放射性物質で、人体への影響もほとんどない」などと説明されており、安全性が強調されています。これは素人考えですが、政府が言うように安全なのであれば、放出になぜこれほどまでの反対があるのかなと思います。
しかし問題は、汚染水を海に放出するかどうかを含めて、原子力発電所の存在そのものにもあると言えるでしょう。私たちは長い間、原発の安全神話を刷り込まれてきましたが、このような事故が二度と起こらないという保証はどこにもありません。地球温暖化という環境問題も含めて、私たちは風力発電などの再生可能エネルギーの利用に大きく舵を切るときが来ているということなのでしょう。もちろんこれらの再生可能エネルギーにも、全く問題がないのかというと、必ずしもそうではないことも知っています。しかしそうであっても、今、私たちは未来の人や神様の被造物にとって安全な環境を受け継いでいく責任があると思います。
先ほど朗読された、マルコによる福音書第2章22節には、「誰も、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋も駄目になる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」という御言葉が記されていました。今までお話してきましたことから言えば、「復興」とは物の復興も大切でしょうが、それ以上に一人ひとりの人を、そしてその関係を大切にすることで、初めて私たちの復興があるのではないでしょうか。また、地球環境を破壊するようなエネルギーの用い方ではなく、地球環境と共に在るエネルギーを用いていくようにすることが、この御言葉に従って生きることではないかと思います。
十字架の死に至るまで、私たち一人ひとりを大切にしてくださったイエス様に従って、東日本大震災11年目の時を、私たちにもできる仕方で、歩んでいきたいと思います。
父と子と聖霊の御名によって アーメン
主教 ヨハネ 吉田 雅人
(2022年3月11日 主教座聖堂 仙台基督教会にて)
東日本大震災10周年記念の祈り(主教座聖堂 仙台基督教会)
主教 ヨハネ 加藤 博道
10年前の今日、起った出来事は、まさに激甚としか言いようのない激しさと驚きに満ちていました。自然の力の前に、人間の営み、文明が築き上げたと思っていたものが、いかに無力であるかを思い知らされた日となりました。同時に、危機的状況の中にあって、それに立ち向かう人々の責任感や勇気、また善意が示された時でもありました。
あの日を境に、多くの人の人生が変わりました。多くの人が愛する家族や親しい人、仕事や故郷を失いました。直接の被災者ではない方たちでも、あの日から自分の人生は変わったと感じ、生き方を変えてこられた方々も少なくありません。それぞれの人にとっての10年、どのような思いや状況で過ごしてこられたかは、とても簡単に言葉にすることは出来ません。
東北教区の中でも、この10周年の日をどのように迎えたらよいのか、以前から少しずつ話し合っていました。大震災発生後に出会った方々や、被災地と東北教区を訪問してくださった海外聖公会の方々、日本聖公会の各教区の方々をお招きしての記念礼拝や、大きな災害に向き合った時に、教会が担えること、その使命は何なのか、各教区の経験を分かち合う協議会のようなものを開催してはどうかとも話し合っていました。
しかし今、新型コロナウイルス感染症流行の中で、そのようなことは出来なくなりました。当初、東北教区としての記念礼拝も、津波によって3人の信徒の方―イサク三宅實さん、スザンナ三宅よしみさん、グレース中曽順子さん―が犠牲となり、教会も解体され他の場所に移転した磯山聖ヨハネ教会の元の礼拝堂跡地、「祈りの庭」で行う予定でしたが、やはり人の移動を極力減らす観点からそれも取り止めることとなりました。
それでも今日の礼拝は、東北教区の7つの教会で同時にささげられ、日本各地の他の場所でも、祈りの時が持たれていることと思います。海外からも、祈りの時を持つという知らせがいくつも届いています。
大勢の方とご一緒に集まっての礼拝が出来ないことは残念なのですが、実は今、わたしの中に、これで良かったのかも知れないという思いが起こってきています。もしかしたら、大勢の方を迎えた大礼拝や集会が終わった時に、何か「一段落したような、一区切りついたような」気持ちや雰囲気がどこか芽生えてしまうかも知れません。そういう意味では、今日、10周年とは言っても、限定され分散された形での礼拝とならざるを得ないことを通して、わたしたちは、今も「決して何かが終わったわけではない」ということを、改めて確認させられているのではないだろうか。そんな風に思い始めています。
東日本大震災の被災地は、地域の回復に向けて懸命の努力を続けてこられました。10年間のその労苦が報われますように、少しでも生活の落ち着きが取り戻されますようにと祈ります。しかし同時に本当の回復への道のりはまだ途上にあり、目に見えない傷ついた部分、癒されていないことは多々あるでしょう。復興という作業の必要な土台ではあるでしょうが、被災した沿岸部の多くは高くかさ上げされて、もとの生活のあった街並みや風景を想像することは困難です。世界最悪レベルと言われる原子力発電所の爆発事故によっては、いまだに事故処理そのものが収束せず、将来的な展望も見えない中、帰還困難の状態に置かれた人々の避難生活が今このときも続いています。被災地では高齢化もあり、心と体の不調を訴える人は増え続けていると言われます。そういう状況の中でわたしたちは今日、10年目の日を迎えています。
東日本大震災だけでなく、その後日本の各地には台風、暴風雨、洪水、土砂災害と大きな災害が続き、世界を見れば、やはり多くの自然災害と共に、政治的な対立、紛争地域における殺戮や憎悪、難民の置かれた苦難の状況があります。
問題がすっきり解決して、何の心配もないというような状況は、地球上、おそらくどこにも見当たらないのだと、思わざるを得ません。
聖公会の新約聖書学者として活躍された速水敏彦司祭の『新約聖書 わたしのアングル』という本があります。1985年の本ですが、当時大変話題になりました。その中でお若い時の速水先生ご自身が抱いていた「救い」のイメージとして、「救いとは、この苦しみや悩みの生活の中からすくいあげられて、苦しみや悩みのない世界、つまり天国とか極楽といったような所へ連れていかれることだと考えていた」という部分があります。先程読まれた福音書の中の主イエスの言葉「重荷を負って苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」に関係しての話です。「休ませてあげよう」という言葉は、とても心に優しく響いてきます。そしてこれはかなり日本人の持つ「救いのイメージ」ではないかと、少なくともご自分はそうだったと言われています。
しかし、後に先生は『共同訳聖書』翻訳の仕事を始められ、聖書を初めてドイツ語に訳した宗教改革者のルターが、この「休ませてあげよう」の部分を「元気づける」「元気づけてあげる」と訳していることに気がつかれます。そしていろいろ調べていく中で、キリスト教の救いは、悩みの中からすくいあげられて、苦しみのない世界に連れていかれることではなく、力を与えられて、もう一度その重荷を負って生きていけるようにされること、だと考えるようになられます。人間には休息-よく休むこと―が必要ですが、しかしそれは「もう一度力を回復して立ち上がる」ことと切り離すことは出来ないでしょう。
「病人を立ち上がらせる」「起き上がらせる」という言葉が新約聖書の中には多く見られ、究極的には神がイエスを死者の中から「立ち上がらせた」、復活の出来事がキリスト教信仰の中心であると書かれています。
もう一度生きる力を与えられて、再び立ち上がっていく、「復活」ということがキリスト教信仰の中心である、ということを深く思い、この大震災によって傷ついたすべての人の上に、また地域の上にご復活の主の御力を祈りたいと思います。
同時に、その「ご復活の主の御力」はどこか遠くにあるものではなく、わたしたちの日常の思いと行いの中で働いているものではないかと思うのです。
以前、テレビでスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼のドギュメンタリ―番組を放送していました。いろいろな国から来た巡礼者たちが、大きな重い荷物を背負いながら歩いていく、その姿を追った番組でした。
巡礼者の中に、一人の中国系の若い女性がいました。巡礼は初めての経験のようでした。小柄な女性なのですが、何よりも背負っている自分の背中よりも大きなリュックサックのバランスが悪く、背中から大きく離れて、まるで首を後ろに引っ張られるようにして、本当に苦しそうに歩いていました。とても目的地にまで辿り着けるとは思えませんでした。その時、数人の他の巡礼者が声をかけあい、「まず、あの人の荷物をなんとかしよう」と言って近づき、荷物を降ろさせ、荷物の詰め方のバランスを整え、リュックサックのひもの長さを調整して、背中にぴったりとあって、背負いやすいようにしたのです。その後、彼女は見違えるように元気に歩き出し、目的地の大聖堂にも到着することが出来ました。彼女を助けた人たちは、この場合は彼女の荷物を減らしたり、代わりに背負ってあげたわけではありません。しかし「まず、あの人を、あの人の荷物をなんとかしよう」と、お互いに声を掛け合い、必要な手助けをしました。自分も自分の重い荷物を背負って歩く旅ではあっても、他の巡礼者の状況にも無関心ではありませんでした。番組の中でも短い小さな出来事でしたが、印象的な一場面でした。そしてその女性が気力を回復していったのも、実際に荷物が背負いやすくなったということと同時に、自分が一人ではないということに気づいて、力づけられたことにもよるのではないか、そう思えるのです。
「我々に課せられたものの中で何が過酷であろうとも、愛はそれを軽くする」とは、古代の神学者アウグスティヌスの言葉です。「まず、あの人の荷物をなんとかしよう」という言葉とそこでなされた行為は、決して大袈裟なものではありませんが、やはり愛に通じるものではないかと思います。思えば主イエスの軛は「互いに愛し合え」という、新しい掟であるでしょう。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」との新しい掟です。「わたしがあなたがたを力づけたように、あなたがたも互いに力づけあいなさい」と、少し言葉をかえさせていただいても、聖書の心から離れてはいないと思えるのですが、いかがでしょうか。
東日本大震災をはじめ、様々な被災地にある方々の労苦を思います。どうか必要な休息が与えられますように。そしてまたそれぞれの仕方で、再び立ち上がっていく力が与えられますように。わたしたちの教会もその歩みを共にするものでありますように。あまりに複雑で見通しがきかないと思える世界の中にあっても、お互いの担っている状況への関心を失わない、感受性と必要な行動力とが与えられますように。
そして東日本大震災をはじめ、多くの災害の中で地上の生涯を終えて、天の主のみもとにある方々が、今は本当にすべての重荷を下ろし、永遠の平安のうちに安らぐことが出来ますように。お祈りいたします。父と子と聖霊の御名によって、アーメン
主教 ヨハネ 加藤 博道
(2021年3月11日 主教座聖堂 仙台基督教会にて)
東日本大震災10周年記念の祈り(盛岡聖公会)
司祭 ヤコブ 林 国秀
「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」
コリントの信徒への手紙2第12章10節
東日本大震災からもう10周年となりました。心から震災による犠牲者に哀悼の意を表し、被災者を苦難を覚え心から主のみ守りをお祈り申し上げます。
私の手元に震災から2年後の被災の状況の記録があります。福島、宮城、岩手の3県で、亡くなられたかたは1万5854人、行方不明者が3155人、仮設住宅などに暮らす人は26万4000人、また、東京電力福島第1原子力発電所事故により福島県から県外に避難している人はおよそ16万人となっています。
一方で10年目の今年、亡くなられた方、行方不明の方々の数はその性質上大きな変化はありませんが、仮設住宅で生活をされている方々はさすがにいらっしゃらなくなり、それでも岩手県では昨年末にようやく釜石市での最後の方が仮設住宅から出られたという報道がありました。また、東京電力福島第1原子力発電所に伴う避難者、福島県からの故郷を追われる生活を強いられている方々がはいまだおよそ43,000人(福島県HP調べ)もいらっしゃることを決して忘れてはならないと思います。
冒頭で「もう10年」ということを申し上げましたが、震災からの時間経過の感じ方は、一人ひとりに貴重な人生があり、思い出があり、家族あるの同様に、それぞれに違いますし、今日の日を迎える思いや感じ方もそれぞれ違うと思います。
思い返せば、3/11の経験は私たちの想像を超える自然の力がもたらす脅威、そして地震や津波という自然の力によって起こる災害、原子力発電所事故がもたらした放射能の恐怖等、どれもこれも「これで世も終わり」と思わせられる出来事でありました。宗教学者の山折哲雄(母堂が花巻出身)は、ジャーナリストとの対談で、宗教者あるいは宗教団体によるボランティアについて、「阪神淡路大震災(1995年)、東日本大震災の両方で一生懸命やっていても一般のボランティアと同じレベルで、宗教者の言葉が現代の人々に届きにくくなっている中、このような時にこそ、しっかりした言葉も発して欲しい」というふうに語っています。私たちもこの言葉を受け止め、この10年の節目を機に、私たち教会が歩んだ道を振り返り、特に日本聖公会が主体となって行なった「いっしょに歩こう!プロジェクト」の活動についても、今後の日本聖公会のボランティアの在り方という点からその活動について振り返り、検証されることも必要なのではないかと思います。
そして、今日は東日本大震災10周年の日に当たり、冒頭拝読いたしました聖書のみ言葉に思いを寄せたいと思います。ここでパウロは人間の弱さということについて語っています。確かに人間は弱い者と私も思いますし、強いように見えるものほどポキンと折れることがあるものです。強いように見えても、心が追い付かないこともあります。強くあるのも大事ですが、むしろ人間の弱さを認めることが必要ではないかと思います。これが東日本大震災で私自身が心底味わった思いです。
そして人間の弱さにもかかわらず自分は今なお生かされてあります。そしてパウロは弱いときにこそ強いのだと逆説的に自分の強さを語っています。とても不思議です。弱いときにこそ強いとは、どうすれば言うことができるのでしょうか。それは、弱さのなかにあっても、その弱さが何かによってあるいは誰かによって支えられていることや、弱さを知っていてくださるかたがおられるということに気づくことにこそあると思います。パウロは「弱いときにこそ強いからです」と言いましたが、この言葉の直前で次のように言っています。「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」 すなわち、弱さのなかにあっても、キリストの力がわたしの内にあるので、再び生き、立ちあがることができる、パウロはそのことにより自分は強くあれるというのです。
神さまは、私たちの叫びや祈りを聞いてくださり、全能であられる方であると同時に、悲しみのどん底もご存知で、私たちが味わう苦しみをはるかに超えた苦しみをもご存知である方でいらっしゃいます。このことは主イエスが十字架にかかられ死なれた事実を通して、聖書のなかの随所に示されているところです。
教会が信じていることは、主イエスは十字架にかけられ、死なれて、3日目に甦られたということです。これがわたしたちの信仰です。そしてわたしたちもその主から甦りの命をいただき復活の力をいただいています。
わたしたちは、本当に弱い存在であると思います。東日本大震災から私はそのことを知り、傷ついた葦、くすぶる灯心のような存在でることを思いました。けれども、そのようなわたしたちの叫びや祈りを、神さまは聞いてくださり、その叫びに応えて、今も御子イエス様をわたしたちとともにおらせ、十字架の死をもってわたしたちの苦悩を担い、分かち合われようとしてくださり、さらに、甦りの命さえを惜しまず与えようとしてくださいます。その神様の愛により、私たちが味わう苦しみや痛みも分かち合われることによってやわらげられ、癒されてまいります。どのような困難のなかにあっても、主を信頼し、主に拠り頼み、弱さのなかに働く復活の主のみ力に生かされて、これからも祈り続け歩んでまいりたいと願います。祈ることによって、この出来事が風化されず、忘れられることなく覚え続けられてまいりますことを望みます。
盛岡聖公会牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀
(2021年3月11日 盛岡聖公会にて)